遍照寺の由緒

    遍照寺の由緒

    創建は貞観年間 慈覚大師円仁と謂うも詳かならず

    天正年間(1573~91)中興開山了義法印 森下邑悪戸に住す

    正保元年(1644)第七代秀尊の時悪戸より松木に移る

    この代に大森三社の別当となる明暦元年森の前を寺地とす

    宝永元年(1704)第十代周海自性院より入山本堂建立

    享保四年(1719)第十一代義観唐金造り地蔵尊建立

    享保十八年(1733)第十二代義道この代に長楽寺の末寺となる

    明和五年(1768)第十四代貫明関屋に薬師堂造立

    天明三年(1780)右代大森三社の御興を勧請す

    文化十三年(1816)第十六代真了大森境内に天満宮を勧請す

    明治五年(1872)第十九代量真神仏分離により大森三社の別当職を廃止と共に御神体の三尊石宮を造り寺側で祀る

    明治十七年(1884)第二十代秀願橡久保自性院兼務

    昭和二十年(1945)第二十二代秀順東亜戦争にて戦死

    昭和三十三年農地解放により田四反一一九歩畑一八反二二五歩解放

    平成十一年本堂改修庫裏落慶

    平成十八年 第二十八代最紳 不動堂改修参道整備水屋落慶本堂外陣改修

    平成二十九年一月元三大師堂落慶

    令和四年  永代供養塔新設

    現在に至る

    群馬県 天台宗 遍照寺